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2013年6月11日 (火)

ニューヨークの公立学校が、全給食を菜食に! 健康と栄養も、教育の一環☆

東京ヴィーガンズクラブさんより、以下転載です

ミートレスマンデー(月曜日は菜食)の動きが全国化しているアメリカで、
ついに、 全ての給食を菜食化した学校が誕生しました!

ニューヨーク、クイーンズ州の公立小学校、アクティブ・ラーニング・エレメンタリー・スクールが、
今年の5月から、週5日の朝・昼全給食をべジタリアンメニューに変更しました。

チキンの代わりにブラックビーンズのケサディーヤやファラフェル、豆腐のアジアンセサミソース。
「これとってもおいしいの!」と9歳のマリアンちゃん。

「全ての子供たちにとって健康と栄養は教育の一環である、という考えのもとに決定しました。子供たちからの反応は素晴らしくよいです。また子供たち自身が、何が健康に最もよいかをわかっているのです。」と、グロフ校長先生は話しています。

生徒のニックくんも、「身体が健康なら、テストでもよい点を採れるし、病気にもかかりにくくなる。」と話しています。

学 校側は、成長盛りの子供たちのために、タンパク質などの栄養素が豊富で、かつ農務省の基準を満たすようなメニュー考案に取り組んできました。

そして1年半 前にベジタリアン給食を週3日ベースで導入し始め、子供たちの反応を見ながら、より人気のあるメニューに変えていったそうです。

給食の全ベジタリアン化の 発表は、PTAミーティングでも拍手喝采だったそうです

さ て、こうした背景には、ブルームバーグ市長のご尽力がありました。

市長は、市民の健康を改善すべく、バーや海岸、市立公園内での喫煙禁止、レストランにトランス脂肪酸の使用を禁止し、かつカロリーを表示するよう要請してきました。

そして市内の学校では、パンやパスタを全て全粒粉にするなどの給食改革を進め てきました

現在、ニューヨーク市内の1000校がサラダバーを備えており、
来年末までには1800の全学校に設置される予定だそうです。

ミッシェル・オバマ夫人はじめ、クシニッチ議員夫妻やハリウッドスターたちが、より健康的な給食改革に働きかけてきました。
国民の健康はプライベー トの問題ではなく、国の問題でもあるのですよね。

そして何が健康的な選択であるか、やっと全国的に理解されてきたのです。
あのアメリカのカフェテリアから お肉が消えることなんて、かつて想像できたでしょうか?

ヨーロッパでも菜食への動きがじわじわ広がっています。

先月はオーストリアの有名なハム会社の社長さんが、植物性ハムの研究開発のために、来日され ました。

オーストリアでも、環境や動物への配慮から、ベジタリアンへの関心が高まっているそうです。
日本も時代に乗り遅れず、子供たちの給食について、真剣に見直して欲しいと思います。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜転載終わり。

私たちも、子供たちの給食を真剣に見直しませんか?

フジテレビの ニュース映像をコチラで見ることが出来ます 子供達の意見もしっかりしてますね…

  NYの公立小学校で初導入 「ベジタリアン・ランチ」

,

こちらの署名がまだの方は よろしくお願いします

内閣総理大臣: 公共の食堂、学校給食、企業への菜食の導入を推進して頂きたい。菜食の大切さを日本全国に伝えてほしいです。

ちなみに先月、日本では こんなニュースが流れていました。

給食:アレルギー対策で卵と乳製品排除 千歳の全保育所 毎日新聞 2013年5月21日

 北海道千歳市は6月から、市内の全保育所の給食で、卵と乳製品の使用をやめることを決めた。食物アレルギーのある園児に原因となる食材を誤って提 供する事故が2件相次いだことに伴う措置で、市は「人為ミスを防げない以上やむを得ない」としている。ただ、一律に給食から除く対応は異例で、疑問の声も あがっている。

 最初の事故は市立末広保育所で3月19日、小麦アレルギーの男児(3)に小麦粉を使ったシチューを提供。約1時間後、せきや手が赤くなるなどの症状が出て一時入院した。

 給食は市保育課の管理栄養士が作成した献立を基に、各保育所内で委託業者の調理員が作る。食物アレルギーの園児には原因食材を抜いた献立(除去 食)を用意することになっているが、このときは小麦粉不使用のシチューを作り忘れた。さらに給食のお盆には原因食材(小麦)を書いた札が張られていたが、 確認しなかった。

 事故後、市は▽前日に除去食が必要な子供の名前と除去食材を表にする▽当日朝に全調理員で表を確認▽給食をお盆に載せる際に複数の調理員で確認など新たな対策を決めた。

 ところが、4月25日には同じ保育所で卵アレルギーの園児4人に、卵を原料に含むハムが入ったおやきを提供し3人が食べていたことが発覚。卵が微 量で症状は出なかったという。だが、前日に作成した除去食対象者の表を確認せず「ハムを抜いたおやき」を作り忘れたうえ、全調理員による調理後の確認もし ていなかった。

 給食の食物アレルギーをめぐっては、東京都調布市で昨年12月に小5の女児(11)が死亡する事故も起きていることから、千歳市は市立2カ所、民 間7カ所の全保育所で卵と乳製品を使わないことを決めた。市保健福祉部の原文雄部長は「確認作業の徹底だけでは再発の可能性がある。子供の命を守ることを 最優先に、あらゆる対応をしたい」と話す。

 これに対し、全国学校栄養士協議会の市場祥子相談役は「卵と牛乳は栄養価が高く、成長期の子供に食べさせたい」と指摘。KKR札幌医療センター (札幌市豊平区)の高橋豊小児センター長は「一律に除くという対応は、全国的にほとんど例がない。調理員が手順を徹底すれば大部分の事故は防げる。他にや るべき対策はあるはずだ」と話している。【小川祐希】

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

転載終わり。

上記のニュースがmixiニュースに流れていた時 「いかにも日本人的だ。」だとか非難ごーごーでしたがε-( ̄ヘ ̄)┌

全くもって素晴らしいよね 。・:*:・゚★,。・:*:・゚☆ veryヽ(´▽`)/ good。・:*:・゚★,。・:*:・゚☆

お肉を抜いてない辺りは残念だけど
卵・乳が無いなら、肉だけ
どかすことは比較的簡単だよね 羨ましい保育所だ

食の基本は子供時代に作られるから、給食変えていって欲しいよね~。
とりあえず 万病の元である牛乳は スグにも止めて頂きたい…

保護者の方へ参考URL 『給食の牛乳を止めるにはどうしたらいいの?』

.

あと以前 ジェネレーション天国で、世代別の 給食が特集されていたので 録画してみました。

米食が導入されたのが、1976年からだったそうです 結構歴史的には最近()だったんですね。
戦後のバナナ世代は、給食にお米が出たことなんて無かったのだそう。
今は常識では無いことも、変わっていくものですよ それが良い方向であることを願います。

Cimg6292_r

給食が楽しみだった というマンゴーとキウイ世代に対して、
バナナ世代の中尾彬(なかおあきら)が、給食は 苦痛でしかなかったと訴えておりました。

GHQの政策で給食に取り入れられた脱脂粉乳は、飼料としても使われていたそうです。

それは知らなかったな~。

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Cimg6294_r

よく、菜食は 飢餓問題の解決にも繋がるというメリットを話すと、

「家畜にあげるような物を、飢えている人達に食べさせるのかよ。」みたいな、アンチ君のカキコミがあったりしますが。

たった50年前は アメリカ人が日本人にやってましたよ~っΣ(`0´*)

.

ちなみに現代の給食は、色々な種類の菓子パン(主食…)に、
カルボナーラやペペロンチーノ等、レストラン並の色々な種類のパスタ

授業の一環も兼ねた、多国籍な料理 (ボルシチ等)が提供されていました。

子供に なるべく周りと大差ないビーガン弁当 持たせてあげよう!! 
…と、思っているお母さんが見たら 気持ちが折れそうな内容でした(苦笑)
( こんなのありますがね~ あな吉さんのゆるベジ異国風ごはん 」)

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コメント

すいません、こういう、屠畜や肉の反対及び動物の命を使う事の反対・動物の権利を主張するブログやサイトばかり見てしまって偏見が自分の中にあると思う上で聞きたい事があります。

もし菜食・動物の権利運動の状況が逆になればどうなるのだろうかと思い、運動をなさっている方に聞きたいと思いました。
運動をなさっている方は運動の最終形態をそれとなく想像はしているのではないかと考えたからです。聞いてどうするのかと言われれば、自分の想像の確証というか確認といいますか、そういうのをしたいだけです。思考実験みたいなものです。好奇心です。

なのでお気分を悪くなされていたら申し訳ありません。ここに投稿するのはどのようなコメントにも前向きに返信してもらえる所だと考えて投稿した所存です。

菜食・ヴィーガニズム・動物の権利等々の主張を持っている、思想を心情を持っている方々は、運動の最終段階として肉食や屠畜等々を筆頭にした、動物の命を使う事を、使っても良いと考える事、食べても良いと考えることは犯罪にし、肉食・屠畜を是とする人々を弾圧しようとしているのでしょうか?

日本の現状での菜食・ベジタリアン・ヴィーガンというのは理解を得てない故の偏見を受けていたり、思想を理解されない故に相手からの反論も菜食の人々から見れば思いつきのような、相手の見方に立っていない言われ方をされている状況なのだとはお見立てしているのですが(あくまでネット上でしか言い合いを見た事が無いので)
もし現在、少数派であるヴィーガンの方々が(ベジタリアンで括ると色々な理由がありすぎるのでヴィーガンという信条を限定に)多数派になったとき肉食をしている人達はヴィーガンの方々の道徳と倫理を理由に不寛容にされたりしないでしょうか?偏見を持たれないでしょうか?

逆の状況になったとき動物の命を使う立場とはどういう風当たりを受けるのか考えてみたのですが、日本は直接、人を傷つけるようなあからさまな事はないでしょうが、市民運動が激しい国ほど弾圧みたいな風当たりがでるのではないかと思ったのです。もしくは今の動物の権利・愛護の運動とは逆の運動が起こるかもしれないと(海外にはもうそういう団体いるみたいですね)考えました。

無粋な言い方なのですが、自分個人はこの運動が善意の暴走と紙一重の運動で、全体の利益を個人の利益より優先する全体主義的なものに見えてしまい、社会の画一化をしようとしているように見えてしまうのです。無論個人的な主観による見方です。それ故の嫌悪がある感じです。この思想からでる動物を守りたいとか環境を守りたい等々、思想や心情そのものを批難したい気持ちはありません。

自分自身がヴィーガンという思想を知ったとき「この社会はヴィーガンという思想があることを許容するがヴィーガン社会は屠畜や肉食を許容するのか」という事を考えました。自分は自分の価値感・心情的には肉食や屠畜はあって良いと思う人間です。それと反骨的です。故にそういう疑問が生まれたのだと思います。
家畜を是とする人間と否とする人間は手を取り合う事は不可能なのでしょうか?どこまでも腹の底に棘を持たなければいけない間柄なのですか?

長々と書く事になりすいませんでした。似たような文をokwaveの質問あげているので、同じような事を言ってる質問者がいたらそれは自分です。結構批判的に書いてしまっていますが。

以上です。失礼致しましたm(_)m

投稿: 実存 | 2013年6月13日 (木) 23:04

実存さん、コメントありがとうございます。
ちょっと時間が取れないので、土曜日にレスポンスさせて頂きますね。少々お待ち下さい。

投稿: Natsumi | 2013年6月13日 (木) 23:44

実存 様

ビーガンというライフスタイルを選んでいるとしても、最終的なビジョンを描いていない方もいますし。
アニマルウェルフェアが確立されれば、良いと思っている方もいることと思います。

なので、あくまでビーガンが多数になるかは分かりませんが、
(仮)で、一人のビーガンの意見として返信させて頂いていること、ご理解下さい。

まず基本的に菜食の理由が、アニマルライツではない方は、畜産は許容出来ます。
私は複合的理由から実践しておりますが、アニマルライツも含んでおります。

>使っても良いと考える事、食べても良いと考えることは犯罪にし、
>肉食・屠畜を是とする人々を弾圧しようとしているのでしょうか?

これはあまりにキツい書き方ですね。

まず、沢山の人達が菜食のメリットを体で実感することが出来れば、
法律で規制しなくても済む話だと思います。

食べる食べないを 法でしばるのではなく、
現在家畜達と呼ばれている動物達の扱いに対しては、倫理的な法律は必要かと思いますし、
(実際、欧州でバタリーゲージが禁止になり、現在、妊娠豚用檻(ストールの廃止を願っている様に。)
今の動物性食品は安すぎますから、政府の助成金は無くなれば良いと思います。

>偏見を持たれないでしょうか?

世界の道徳観が家畜達にも向けられた時は、
例えば、現在の男尊女卑や外国人差別をされている方に対して思うように、
考えの古い人だなとは思われるのではないでしょうか。

奴隷制度が悪いことだと分かった現代において、
現在において、なおそれで利益を求めようとする人たいた場合、そういう人のことを、
一般的にどう思うかということも、ヒントになるのではないかと思います。

ですが、そうなった場合に最も重要なのは、
迎えた社会の変化が、結果的に悪いことだったのか否かではないでしょうか。


>今の動物の権利・愛護の運動とは逆の運動が起こるかもしれないと(海外にはもうそういう団体いるみたいですね)

KKKやヘイトデモのことでしょうか。

アニマルライツだとしても、元から肉食文化だったところ、
植物性食品に恵まれてなく、それを食べていかないと生きていけない
地域の方達の食文化は尊重されるのではないでしょうか。
(気候的に無理でない限り、可能なら勿論、農業技術等の伝達等も出来たら良いと思いますが。)


政府の助成金がなくなり、ビーガンというライフスタイルを選択した人が増えた場合、
必然的にお肉の生産者も減りますから、お肉は希少で高くなるかもしれませんね。

そんな中、動物性たんぱく質でしか、栄養が取れない体質や病気の方がいたとしたら、
病院等で証明書を発行してもらい、家計に負担が無いように、
何割かの負担だけでお肉を買えるようにすれば良いのではないでしょうか。

その時販売されているお肉は、勿論工場型畜産ではなく、アニマルウェルフェアでのびのびと育てられたもの。
もしくは人工的に培養されたお肉もしくは、事故死等で死んでしまった動物のお肉が提供されれば良いと思います。(個人的にはですよ)

現在、例えば 障害者は表だつところでは差別されていませんが、差別する人もいますね。
将来どうなるかなんて一概には言えません。ですが、実存様が知らないことがあります。
菜食になった後に、多くの人達が実感する心と体の変化です。

私はお肉を食べていた頃は、家族とのケンカも絶えず、サスペンスやアクションバイオレンス映画が好きでしたが、
今は昔好きだった映画のジャンルは好みません。
TV番組の芸人同士ちょっと小馬鹿にしたようなやり取りや、以前は何とも思わなかったような些細な暴力シーンにいちいち心が痛みます。

心が穏やかになり、ストレスが減りました。

動物性食品を食べると、怒りやすくイライラしやすくなります。
これは現実的に体に起こる変化もありますし、またスピ的な話では(私はスピではありませんが)、
殺される時の恐怖や怒り・悲しみの気持ちが、お肉に残っているから…ともよく言われています。
(現実的な話をしますと屠殺される時、お肉は動物の恐怖で秒単位でガン化していきます。)

実際 栄養学の始まりは、ドイツで兵隊を作るために設定されました。

明治政府も欧米列強に追いつくためにそれを採用し、
戦後GHQの政策によって日本人はパンと牛乳に慣れ親しみ、まさに「食民地」と化しました。
現在の日本人は栄養・カロリーの取りすぎです。

全体主義の意味はよく分かりませんが、
政府から奨励されて、画一的に国民に教えられている栄養学は、
まさに「社会の画一化」ではないでしょうか。


将来どうなるかは分かりませんが、このまま肉食を続ければ、
差別うんぬんより、人類ならびに地球の動物が生きていけず、持続可能な社会とは言えません。

(地球上の人達全員が日本と同じ暮らしをしたら、必要な地球の数は2個とちょっとが必要で。
アメリカと同じ生活をしたら、5個とちょっとが必要になりもうオーバーして足りません。)

日本人の8割の人が、環境に対して何かしたいと思っているにも関わらず、
地球温暖化の80%の原因が畜産によるものだということは、(現在の利益に反する為) 知らされていません。

また食べなくてもよい物を食べ、病気になり、自然が破壊され、亡くなっていく人達がいることは
とてつもなく資源や、労力のムダだし、悲しいことだと思います。

まずは実践したいと後に思ってくれる人達へ、周知される事にこしたことはないですよね?
原発のデメリットが知らされていなかった様に。

菜食というメリットや知識が開示されている上で、個人個人が自由に選択出来る。
そういう社会であって欲しいと願っております。

投稿: Natsumi | 2013年6月15日 (土) 15:04

ご返答ありがとうございますm(_)m

一個人の意見になろうことは承知致しています。

かなり批判的になりうる疑問と問いを以下の所で今質問しています。
http://okwave.jp/qa/q8131052.html

アニマルライツでなければ許容できるのは信条の違いゆえですね。

自分が法と倫理と道徳で縛り上げなければ動物の命を使う事が肉食も含めてなくならないであろう疑問を発したのは。国家や歴史、法、道徳、倫理ができる以前から肉食や狩猟などの行為が発生したゆえにそう考えました。
菜食を善とするための倫理がなければ肉食は発生すると思っているからです。
価値感のみで食を制限する事ができる生物は地球上で人間のみだと考えているからです。

個人としては奴隷制度と比べるのが筋違いと考える価値感なので、あまりなんともいえません。
この運動は「動物を「正しく」扱わなければ許せない私の心をどうにかしてほしい権利」運動と思っているからです。
別に動物を倫理的に扱ってほしいとか救ってほしいとか、そういう考えを否定するものではありません。
主体が動物ではなく人間に見えるからです。人間が人間を解放する事自体は疑問を持ってないからです。
種差別してると言われれば種差別してます。
アメリカ型奴隷制度は恐らくというより勝者が歴史ですから悪い面しか伝わっていませんし専門的ではないので何がどう問題であったか
陳べる事は出来ませんがローマ帝国の奴隷制度は弱者を守る側面を含め存外悪いとは思っていませんが、ここでNatsumiさんが言われているのは
アメリカの奴隷制度で起きた悲劇に関することなのでローマ帝国の奴隷制度を引き合いには出せませんね。

動物が自由に野生で生きる権利が動物の権利に広義的に伴うものなら「肉を得る権利」も広義的に全生物に伴うわけだと考えたりします。区切るとすればそれこそ種差別になると思ったりするわけです。
動物は倫理や道徳で食を制限する生き物ではありませんから動物に関しては肉を得る事を議論なされないと思いますが
つまるところ人間に関しては絶対的な倫理や善を敷かれてその奴隷になるか否かみたいな議論がでるのではないでしょうかと思ったりもします。

ヴィーガンが普及された社会の想像を一部分となり書いてくださってありがとうございます。
仮に畜産があるとしたら束縛がない自由な場所で、肉を得る時は法的管理という具合ですね。
差別はどのような形であれ残ると自分は思います。思想信条の違い、倫理の違い、色々と差別が出る原因をあげれば事欠かないと思います。


「海外にもうそういう団体がいる」と書いたのは反PETAの団体がいるみたいだったので。

菜食になった後の心の変化やそれお理由にしたものに関しては何もいえないです。
まさに本人の中でしか証明できないことなので。(スピによる論理も)
それでNatsumiさんが穏やかになれて幸せならそれはそれで良かったのではないかと思う次第です。


全体主義と言ったのは最終的にヴィーガンの社会はいまの社会より倫理や道徳を含めた価値感でさえも社会の画一化を進める事を、それが絶対真理だとして強制的になる傾向がある社会なのではと思ったからです。つまりいまNatsumiさんが感じている「画一化」をヴィーガンの社会に感じるわけです。

ヴィーガンの思想からはそれが「正しい」社会なのかなと、想像しました。これは私自身が絶対的な倫理観や道徳観なんてない、100人いれば100人の生まれ育ちに伴うの価値感があると思っているからです。
自分にはこの運動をしている人達がまったく異なった道徳観と価値感が存在する事を許さない傾向があると考え、聞いてみたくなったのです。無論偏見だと言われれば偏見です。ただ相手の反論は自分の意見が正しいから強く反論してくるのだという人もいるように見えて、ここまで強い自己の正義を見た事がなかったので、どういう価値感を伴った人が多いのかと知りたくなったのです。

絶対善と絶対倫理で行動しているのかどうか、妥協というものが現実上にあっても思想上あるのかと。ヴィーガンを肯定している人のサイトやブログは傾向として肉食が異端信仰並の扱いなのです。これはそれぞれ活動する人に絶対的な一つの倫理観を正義とした信条があるからではないかと思いました。そういう傾向は全体的にあるのかと疑問に思いました。
でも実際は聞いてみなければわかりません。

想像でしか語れぬ事とその社会が結果的にどうか、確実に判断するのは後世の人間なので、自分が述べるヴィーガン社会ですら、それが後世の人間にとって悪い事か良い事かは断言出来ません。故に思考実験のようなものだと称しました。

栄養学を信じるか信じないかはこの場合、公共の情報と言うものに対する不信によって上下するものだと自分は考えます。マスコミや政府に対する信頼率が栄養学の信頼率に比するものだと考えたりしています。栄養学自体を正しいかどうかを批評する知識は持ってないです自分は。

将来〜以降の文章に関しては、そう考える部分もある故に行動するのですかと思うばかりです。


Natumiさん個人的な返答ありがとうございました。

投稿: 実存 | 2013年6月15日 (土) 20:48

実在さん、長いです! 読むのに時間かかりますし疲れます。
人に読ませる文章を書く場合は、3行に1回くらい、改行した方が見やすいですよ。

奴隷制度については、インド等をイメージしておりました。(児童労働等も)

肉を得る権利があるとして、今の現代人は必ずしも自ら選んでいる訳ではありません。
刷りこみであり、覚えさせられた中毒と言いますか。
子供の頃、動物は友達と育てられた子供達は、お肉が何かを知った時に葛藤します。

屠殺場がガラス貼りだったら、食べる人は減るでしょう。知ることは選ぶ以前の、最も大切な人の権利ではないでしょうか。
一部の人達の利権の為に家畜&奴隷化されているのは現代の日本人です。

動物達は自らの手で、生命を目の前にして命を頂いており、
食物連鎖の中で自然を守る為の重要な役割を担っています。
人間は、生きているうちも死後も食物連鎖の中に入っていないばかりか、
パッケージ化されたお肉に対しては無関心かつ無責任です。


>そういう傾向は全体的にあるのかと疑問に思いました。

動物の為を思い活動している人は、加害者が人間になりますから、
怒りと悲しみで必然的に人間嫌いにはなりやすい傾向はあります。
ならないようにセーブ出来ている人もいます。

OKwebeはアカウント作ってないです。

実在さん、是非一度で良いので、アースリングス全編を見てみて下さい。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=thFyxG5_V4c

それとドキュメンタリー映画「フォークスオーバーナイブス」
http://vegerevo.com/

そして菜食を科学的に証明した「葬られた「第二のマクガバン報告」」上中下です。
http://www.amazon.co.jp/%E8%91%AC%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%80%8C%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%AC%E3%83%90%E3%83%B3%E5%A0%B1%E5%91%8A%E3%80%8D%EF%BC%88%E4%B8%8B%E5%B7%BB%EF%BC%89-%EF%BC%B4%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB/dp/4901423169/ref=pd_sim_b_2/376-0621495-8862062

下巻には、何故菜食の情報が隠されているのか、書かれています。

「豚は月夜に歌う―家畜の感情世界」
「イーティング・アニマル―アメリカ工場式畜産の難題」もお勧めです。
図書館から借りてきても良いです。

疑問に思われたのでしたら、そういった側の知識を入れても損は無いかと思いますよ

投稿: Natsumi | 2013年6月15日 (土) 23:34

見にくい文章ですいませんでしたm(_)m
okwaveは、こういう事を書いたということを張りたかっただけなので、回答とかを望んだわけではないです。

Natsumiさんが書いた事と似たような事を書きますが(似てないならすいません)

現代の社会は畜産や漁業、農業とは隔離された生活と、
それとは別に無条件に命は大事ということを道徳で覚えさせられています。
この2つが、畜産や漁業に関する、命の使い方に非常な衝撃を感性に与えるのだと思います。

ただただ命が大事、命は平等と教えられる反面、屠畜や動物の命を使う実態から
無菌室のように切り離されれば、衝撃を受けるのは当然なものがあると思うのです。

命は大事・命の平等の捉え方は人それぞれですが、全ての命が平等で大事という倫理観に
近い人間ほど現状の生活に欺瞞と怒りを起こすのではと推察するのです。

今のような生活と道徳教育の中で突然ガラス張りにすれば、
倫理観もしくはその光景で食べれなくなる人はでると思います。

ただずっとガラス張りにして幼少の頃からそれを自然と思って育ったり
道徳や倫理観を学ぶ時期に幼少の頃から親と屠畜しにいく環境になれば、
倫理観・道徳観は違ったものになるとなると思います。当然だと思うようになる子もでると思います。

自分としては現状の道徳や倫理観が大体固まった後に、屠畜・毛皮を見せなければ
その行為をやめるような事はないと思います。

日本では非常識となりますが海外だと生活の一部だというように家で解体して家で食べる
これが普通であり日常そのものな場所が多くあります。
その子供はありとあらゆる事を見せられたおかげで葛藤はありません。

結果的に肉への葛藤を無くす方法として幼少の頃から畜産や屠畜を全て見せたり
実際にやらせるのは効果的かもしれません。非日常ゆえに葛藤が起きると思うので、自分はそう考えます。


利権はどんな集団をも利用するので、利権の奴隷と言う意味では菜食が多数派になれば
結果は同じじゃないかと思ったりします。


>疑問に思われたのでしたら、そういった側の知識を入れても損は無いかと思いますよ

自分が疑問に思っている事は知識を教えるそれらの品々の前提なのです。何故正しいことしか強調しないのか
正しいとするための知識なのかという前提です。
知識を教える前に何故かそれが正しい情報・論理という前提で話が進むのです。(そう考えてしまうのです)

むしろ何故偏りのない菜食や動物の権利、動物愛護を扱ったものがないのかという疑問なのです。

無味無臭的な見方ができるものを強いて上げれば「いのちの食べ方」とか
そういうものしかないのかという気持ちがある感じです。


「それは正しいから正しい事をいってるんだ」と言われれば無限ループになりますが。
上記の品々はそういうものに近いように思います。

究極の所、人間は信じるか信じないかの生き物ですから
自分の信じたい情報は信じます。無論それは自分も含まれます。そういう価値感です。

希望してる結果や信じている価値感が内包されているものほど人間は無条件に信じるし
信じるための情報、信じた情報を信じるための情報があれば信じるのです。肉食も菜食も互いを正当化するための
情報なんて今や腐るほど溢れているので、その気になれば正当化するための情報なんて集まるのです。
情に訴えれば人によっては何事も正当化出来たりもするのです。

人数が多いから正当化されているんだと思う人は少数である事を正当な証拠と考えたりもするのです。
何が正しいかなんて絶対的な証明方法なんてないので自由に信じる他ないのだと思います。
ですので思想自体を批難とかしたいわけではないのです

ただこれらの作品は思想的に偏った見せ方を前提にする情報源に見えるのです。
故に「そういった側の知識」ということなのでしょうが。

情報を掲示なさった事はありがとうございます。
相手の前提となる価値感を理解するものとしては良いものとたしかに思います。

すいませんまた長くなってしまいました。ご返事ありがとうございましたm(_)m


投稿: 実存 | 2013年6月16日 (日) 02:09

>自分の信じたい情報は信じます。無論それは自分も含まれます。そういう価値感です。

で書いた「そういう価値感」は自分はそういう風に自分を含め人間を
分析する価値感を持っています。という意味で書きました。

色々と雑多な表現で伝わりにくい文章があるのではと思いますが
訂正、失礼します。

投稿: 実存 | 2013年6月16日 (日) 12:32

>その子供はありとあらゆる事を見せられたおかげで葛藤はありません。

これは人それぞれですね。畜産が各自家庭で行われるということは、
育っていく過程もぞれぞれ経験する訳ですから。
道徳観が幼児のうちになかったとしても、成長の過程で、殺す・殺せないの感情は出てくると思います。

ですが、各家庭で 屠殺をされるならまだ良いと思います。


>知識を教える前に何故かそれが正しい情報・論理という前提で話が進むのです。
>自分の信じたい情報は信じます。

お肉が好きな人ほど、自己防衛で攻撃されます。(実在さんがという訳ではありません)

>肉食も菜食も互いを正当化するための情報なんて今や腐るほど溢れているので、その気になれば正当化するための情報なんて集まるのです。

動物性食品を奨励している人や科学者達は、遺伝子組み換え食品と同じく、
そこから利益を得ている人達や関係者がほとんどです。
だから食生活の転換を望まない人達は、その情報をうのみにします。


>思想的に偏った見せ方を前提にする情報源に見えるのです。

マクガバン報告を出された方は、酪農家の息子でした。
酪農の発展の為に大学で研究をされていたのですが、自身で出された結果は真逆の内容でした。
当時 「これは困った。」と思ったと、フォークスオーバーナイブスの中で語られています。

どこが前提にしているでしょうか?
マクガバン報告は科学的に証明されたことです。

菜食を伝えたいと思っている人達のほとんどは、
元々はお肉が好きだったり、食べていた人達です。

つまり、肉食の時の自分も、菜食の時の自分も両方知っているのです。

だから「これは素晴らしい選択だ(だった)!」と、
嘘か本当か分からない本でも科学者の言葉でもなく、信じる ゆえんはここにあります。


一方 一方的に非難したり(実在さんのことではありません)、
かたくなに変化を恐れて情報を避ける人達の多くは、
一度も菜食を実践されたことがありません。

食べ物を変えると遺伝子も変わることが最近分かってきました。

そういった方達の書き込みを見る度に、
人生80年として、そのうち例えば3カ月でも実践されてみたところで、
何か失う物があるのですか? と度々思います

あと最初の問いに戻ってしまいますが。
>偏見を持たれないでしょうか?
とのことですが。
現在(は減ってきましたが)菜食を実践する人に向けられる偏見は、良しとするのでしょうか。
日本では特にそれが顕著です。


もう少し肉食は素晴らしいんだぜ!っていう知識と同等くらいに、
菜食の知識も一般的に周知されれば良いと思います。

そこに無駄はありませんから。

投稿: Natsumi | 2013年6月16日 (日) 20:50

>これは人それぞれですね。畜産が各自家庭で行われるということは、

断定的な書き方をしてしまいました、自分も全員がそうなるとは思いません
人それぞれだとは思っています。


>お肉が好きな人ほど、自己防衛で攻撃されます。

誰でも、悪いと思ってやってないことを、それは悪い事だと言われれば、その内容がどうであれ反発すると思います。
自分が行動している(食事含めて)ことを否定されるのは誰でも自己防衛すると思います。

「やってはいけない」と皆にその行動を批判すれば、情報の発信として自由に批判しているのですから
それを受け取った側は、自分がしていることがいけないことではないと思う人は同じように批判するだけです。
強く否定すればするほど、相手も強く否定すると思います。

相手も「菜食を信じてるから自己防衛でこちらを攻撃してる」と思うと思います。

日本人側の大抵は思想・信条で食事してるわけではないのと菜食側の思想を理解しているわけではないので
この菜食の思想や考えを発信する側としては、何もわかってないと思ったり、筋違いの言い分をしてる
と思うのだと考えます。

ベジ側のほうも肉食や動物の命を使っていい価値感に、肉食側がベジ側に理解がないと同様
理解がないので、相手は何を言ってるんだと思うしかないのだと思います。
(肉食側も菜食側も全員そうだとは無論思ってないですよ)


>動物性食品を奨励している人や科学者達は、遺伝子組み換え食品と同じく、
>そこから利益を得ている人達や関係者がほとんどです。
>tvだから食生活の転換を望まない人達は、その情報をうのみにします。

これはまさに公共、国家、マスコミ、利権への不信感と比例する逆の立場への信頼だと思います。

マクガバン報告やそれ以外の菜食のための科学的報告を信用出来るか、
きちん判断出来るのはまさにその科学者のみの立場だと思います。

他者がその報告を信頼する比率は上の、公共・国家・利権への信頼率と比例するのではないでしょうか?
自分はそう思うので、もしこの社会が菜食(ヴィーガン社会とかそういうのではなく食事の中心が)であれば
逆の事が起きると思うのです。

思想の偏りと書いたのは不適当な書き方をしてしまいましたが、科学的情報の信頼はそこだと考えるので
自分はこれを陰謀論のたぐいで読むと思います。

読めば読めばで「なるほど、そう結論するから菜食が良いという答えをだすのか」と理解はすると思います。
ただそれを信じるか信じないかは、上の信頼性の問題だと思うのです。
ひとつの考えとしてとっておく感じだと思います。


>つまり、肉食の時の自分も、菜食の時の自分も両方知っているのです。
>だから「これは素晴らしい選択だ(だった)!shine」

まさにこれは素晴らしいと思う主観の発言になるので、本人とってはそういう心境なのだと思いますが

お言葉を借りて申し訳ないのですが、自分としてはこう見えるのです。

「キリスト教を伝えたいと思っている人達のほとんどは、
元々はイスラムが好きだったり、無宗教だった人達です。

つまり、無信仰の時の自分も、信仰の時の自分も両方知っているのです。

だから「これは素晴らしい選択だ(だった)!shine」と、
嘘か本当か分からない本でも科学者の言葉でもなく、信じる ゆえんはここにあります。」

こう見えるのです。そう思う気持ちとかは否定出来るものでもありませんし
否定するべきでものでもないと思います。しかし人間の信じるというのは、上の宗教の例えと変わらぬものと
自分は思うのです。他人はわかりません。


>現在(は減ってきましたが)菜食を実践する人に向けられる偏見は、良しとするのでしょうか。
>日本では特にそれが顕著です。

良しとは自分の信条では思いませんが、肉食の実行を不道徳的な見方
として進める菜食の進め方は、同じくらいの偏見があると思うのです。

日本人、日本人社会そのものが自分と違う事を嫌う社会だと自分は思うのです。
だから日本の菜食側も全員そうであればいいと思う気持ちが非常に強いのではと推測するのです。

海外は自分は自分、他人は他人の傾向が強いから割り切った関係が成り立つと思うのです。
向こうは多宗教、多民族ゆえに互いに摩擦を起こさないようにするにはそうならざるおえなかったのだと思います。
こちらはほぼ日本民族、単一社会なので、みんなそうでなければいけないという気持ちが強いのだと思っています。

日本の愛護運動やヴィーガン、動物の権利を信じる強さも、そういうみんなそうでなければいけない
という気持ちや価値感が肉食側同様にあると自分は考えるだけです。

なので、偏見をなくすための理解は必要だと思いますが、一番大事なのは他人と自分が違っていい
事を許容することができる価値感だと自分は思います。

活動する時は活動する、話し合う時は話し合う。日本は全て公私混同するので
割り切れない性質だと思うのです

>菜食の知識もtv一般的に周知されれば良いと思います。

菜食側の考えを包容できる社会になると良いと思います。


自分は肉を食べる人間です。なので肉を食べるための理屈と捉えられても仕方ないと思って書いております。
食べていますし、狩猟や牧畜、畜産という思想を肯定した価値感を持っているからです。

肯定してるから、そういう書き方ができるのだとされれば、主観の外の書き方はできませんから。
否定も出来ません。


コメントの返答ありがとうございました。お時間を取らせてるようで申し訳ありません。

投稿: 実存 | 2013年6月16日 (日) 22:46

>キリスト教を伝えたいと思っている人達のほとんどは、
>元々はイスラムが好きだったり、無宗教だった人達です。

すいません、イスラム教は例えとして不適当でした、無神論者としてください。

訂正失礼しました。

投稿: 実存 | 2013年6月16日 (日) 23:08

>否定するべきでものでもないと思います。しかし人間の信じるというのは、上の宗教の例えと変わらぬものと
>自分は思うのです。他人はわかりません。

ここで最後に書いた、「他人はわかりません」というのは

他の人がどういうように見るかは、自分には想像する他わからないので
今、書いた見え方は、もちろん自分の主観にすぎない感想です。

という意味で書きました。

後から読み不十分に書いてしまったと思う所があると思い、訂正させてもらう次第です。
大変失礼しました。

投稿: 実存 | 2013年6月17日 (月) 18:33

>他人はわかりません。

だから、人に質問するよりもまず、ご自身が体験すればすむ話では無いのですか。
それを全力で避けられるのは何故ですか?
本など買わなくても、近所の図書館で借りられてきたら良い話だと思います。

菜食はありふれた思想主義ではありません。
食により遺伝子・細胞・五感が変わるという体験です。

宗教なんぞ想像の産物は無くても死にはしませんが、
肉食中心の生活は、多くの人を死に至らしめています。
(戦後日本の食が欧米化してから、生活習慣病が死因を占めています。)

菜食になったことで、子宮筋腫・ガン・アトピーを治した人達も知っています。

私はお肉を食べていた時から、元々健康だと思っていましたが、
菜食になったことで、風邪・花粉症・冷え性・ヘルペス・肩こり・偏頭痛がなくなり、
普段の疲労も少なくなりました。
実は健康で無かったということを知ったのです。本当の健康とは何かを知りました。

多くのベジが、肉食を否定している訳ではありません。
なのに「私はベジタリアンです。」と言うだけで、攻撃された気分になり
「植物も生きてるんじゃないの?」と言ってくる人がいます。


>誰でも、悪いと思ってやってないことを、それは悪い事だと言われれば、

悪いことだと受け取るのは、そう思うか、人それぞれではないでしょうか。

上記した通り、私達が知ったからには、
困っている人達を知らんぷりして伝えないのは罪悪だと考えます。

病院に何百万と払い体を切ってもらうよりも、
アマゾンへ木を植えに行くよりも、
それが一番安価かつ経済的で、身近に出来る方法だからです。


また屠殺場が隠されているのは何故ですか?
私は神戸の加古川食肉センターへ見学に行きましたが、
そこで働く人達はインタビューの中で「汚れた仕事」とおっしゃっていました。

そう職人を思わせる、植物性の仕事がありますか?

屠殺場が隠されているのは、残虐で食べれなくなるというだけではなく、
そこで働く人達を世間の目から隠す為でもあると思います。
(東京のお肉の博物館では、無人にもかかわらず「プライバシー保護のため撮影禁止 東京都」と張り紙があります。)

お肉を購入する方は、そういった人達へそういった事を押しつけている訳です。

よく菜食を伝えると、屠殺場で働く人達への差別だと言われる方がいますが、
菜食をするということは、そういった差別をなくすことでもあります。

レオ・トルストイは言いました。

「屠殺場があるかぎり戦争はなくならない。」

その通りだと思います。


社会がより良くなる方法があるのだと提示されていても、
知ろうとせず批判をするのは、ただの茶々や言われなき中傷にすぎません。

原発を無くすと将来、推進派が差別されるのではないかと、脱原発の活動家に問いかけるのは、保身であり、お角違いです。

時間もお金も無償で伝えようとしている人達の足を引っ張る前に、

「やってみなければ分からない。」 …と、思って頂けたら幸いです。

投稿: Natsumi | 2013年6月17日 (月) 20:03

>だから、人に質問するよりもまず、ご自身が体験すればすむ話では無いのですか。

自分が質問したかった事は菜食の有効性、言い悪いではなくヴィーガンと言う思想は
他の思想を自由に認める事ができる思想か否か、

またヴィーガン、ベジ、動物愛護という思想を信条としている人は、それとはまったく違う思想を
許せる情緒を持っている傾向があるのかというのを聞きたかったのです。

日本はベジ側に無理解ですが、無理解ゆえにベジ側を批判するようなデモも運動もしません。
しかしベジ側は許容出来ないからこそ運動をします。暮らしている環境を変えたいから運動するのだと思います。
自分はどこまでやるつもりなのかと聞いてみたかったので極端な質問をしました。

菜食が正しいか間違いかを聞きにきたわけでも知りにきたわけでもないのです。


>多くのベジが、肉食を否定している訳ではありません。
>なのに「私はベジタリアンです。」と言うだけで、攻撃された気分になり
>「植物も生きてるんじゃないの?」と言ってくる人がいます。

最初に書いた通り、あくまでネット上としますが、動物の命を使う事そのものに否定を一色にだした
傾向が非常に多く、あくまでネット上で情報が認知される限り、肉食を否定しているように見えるのではと思います。

攻撃された気分になられてるかはNatsumiさんが断定できることではありません。自分も断定出来ません。
否定された気分になってるかもしれませんし、面白半分に聞いてるのかもしれませんし

どのようにせよ、ベジタリアンに対するイメージと言うものが、言ってる人の心の中にできあがっているとは思いますが

「植物も生きてるんじゃないの」と発言するにはそのまえに、そのベジの人が、「動物がかわいそう」とか
何か倫理感を言わなければ言われないと思う発言なので、ベジの人がベジの理由をいう事無く、発言するのは
失礼だと思いますが、何か理由を先に言って言われるのであれば、ただの問いではないでしょうか?

先に倫理面を言ってから言われるのでしたら、それはただその肉食側の人の倫理や価値感を
「ではこちらも、と」だしてきてるだけだと思います。

違う倫理観を出してくることが攻撃と見るならばそれは攻撃になり、
肉食べてもいいという価値感を出される事が攻撃と捉えるのでしたら、それは攻撃ということになるのでしょうが。

態度が否定全面でしたら、それは無遠慮で無理解だと思います。
ただ相手側もベジの態度を全面否定と捉える価値感があれば、
相手もベジ側を否定全面に見えているのではないでしょうか?

どのようにせよ、自分は肉食する側の態度や無理解の問題を説かれましたら
原因の一番は国民性 としか自分は言えません

二番目は互いの倫理観にせよ生活感にせよ色々と
価値感の前提に違いがありすぎて議論にならない、相互理解ができないのではとしか。

主にこの2つが原因として強いのではと思います。

>悪いことだと受け取るのは、そう思うか、人それぞれではないでしょうか。

人それぞれです。人それぞれだからこそ、
それぞれの価値感で情報を発信するベジ側に批評・批判・考えを情報を受け取った側から感想として返すのに

ベジ側はそれを、おおまかに
「お肉が好きな人ほど、自己防衛で攻撃されます。」
という感じに片付けているように見えるのです(あくまで自分の主観です)。
何故か「自己防衛」と言われ、「攻撃している」と言われるのです。こちらはこちらの考えを表明してるだけなのに。

どちらもお互い自分が正しいと思ってる価値感で考えを言いあってるのに
自己防衛してる、攻撃されてる、という言い方をされるのです。
まるでベジ側は攻撃されるいわれも無く自己防衛をされる事を不思議がっているように見えるのです。

批評する側は批評された側に批評されることを攻撃というのはおかしいと個人的に思うのです。
ベジ側は「肉食側に批評される筋合い」というような価値感を持ってるように見えたのです。
なので何故、反対意見が意見ではなく攻撃と自己防衛というような感じの解釈になるのかと思ったのです。


>そこで働く人達はインタビューの中で「汚れた仕事」とおっしゃっていました。

屠殺を道徳的に良いと、あまり思わせない日本の倫理観と教育に問題があるのではないでしょうかその場合は。


>屠殺場が隠されているのは、残虐で食べれなくなるというだけではなく、
>そこで働く人達を世間の目から隠す為でもあると思います。

一般的に工場と分類されるものでフェンスやら堀やら分断されていないものは少ないと思います。

また日本がゲームやら映画を演出や表現によってr-18としたりする基準と
その場を隠す事は何も違いはないと思います。
基本、血が出たりする場所は見してはいけないようにしているからでしょう。場合によっては訴えられるからです。


>お肉を購入する方は、そういった人達へそういった事を押しつけている訳です。

チョコレート製品を買ってる時に、それがどこか外国のひどい環境のプランーション農業などで働かせられている子供達が
カカオをとった可能性を思えば、普通にきちんとした環境でお金をもらい普通に暮らしていると思いますが。
どの製品を生産するにせよ原料をとるにせよ、押し付けてるとされれば全部押しつけになります。

ようはその製品・職業をどう見てるかによって変わる事です。
工業製品のレアメタルがゴミ溜で生活している人達が回収したゴミから再生されたものを使う場合もあるわけです
押し付けてると言われたら押し付けています。

働く所に嫌悪を覚えるとするならばそれは倫理観と道徳観による個人問題だと思います。

その生活環境の育ち方ででた価値感の問題ではないでしょうか、自分は特に嫌悪を持ってないわけですし。
人それぞれです。それこそ。


>レオ・トルストイは言いました。
>「屠殺場があるかぎり戦争はなくならない。」

権威論証という論証があるのですが、その論証は要は、偉い人が・人格的な人が・有名な人が
言ってるから正しいんだとする論証です。論証的には誤診の扱いみたいなのです。
そういう有名人とか偉い人だから、正しいんだみたいに使ってる傾向がベジ側では多いと思います。

ピーターシンガーとかの功利主義者・動物の権利専門・菜食における栄養学専門のなどの人の声を
この場合出すのなら、全然わかるのですが。ただ芸能人で有名人で歴史上有名というだけで
専門分野関係無しに発言を正しいと(本人が捉えるのは自由です)公共の場でだすのは

人によって誤診と受け取られると思います。
別にこういう事自体は、どのような主義主張を発する側でも多いのでベジだからとかそういう批判を
したいわけではありません。単純にその使い方どうなんでしょうと思うだけです。

自分も格言を使いたいので使います。権威論証とか論理学的なことは関係無しに。

「始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる。」

「絶望は、人を過激にする。
とくに、生まじめで思いつめる性質の人ほど、容易に過激化しやすい。」

「自負心も、強くなりすぎると他者への伝達の意欲を欠く結果に終わりやすい。」

ユリウス・カエサル

長文失礼しました。先程の返事もお時間を使わせてもらいすいません。


投稿: 実存 | 2013年6月17日 (月) 22:30

すいません、こちらのほうも思う事があって書きます。

>社会がより良くなる方法があるのだと提示されていても、
>知ろうとせず批判をするのは、ただの茶々や言われなき中傷にすぎません。

知ろうと思わない側が菜食側の意見を「ただの茶々や言われなき中傷」と思う事を考慮する事は無いのでしょうか
掲示された情報を信じない自由もあるのです。菜食側がマスメディアや利権を信じないのと同様に。


>原発を無くすと将来、推進派が差別されるのではないかと、
>脱原発の活動家に問いかけるのは、保身であり、お角違いです。

保身と判断されても相手が本当に保身ゆえかどうかは断言できないことです。
原発が正しいと思う側の発言なのですから、差別を嫌えば考慮されてもおかしくないと思います。
批判する側は批判されてはいけないのですか?


>時間もお金も無償で伝えようとしている人達の足を引っ張る前に、

自分がやることを正しいと思って活動してる方は
皆たいてい批判や否定的なことを言われればそう思うと思います。


>「やってみなければ分からない。」 …と、思って頂けたら幸いです。

それはそうです。そう思うからこそ、今の今まで菜食や動物の権利の思想が間違ってるか正しいか
という思想そのものに対する問いはだしていません。

倫理的に道徳的に環境的、健康的に「正しい」かは議論にしていません。
そのように見えたら自分の書き方が、悪かったです。すいません。


自分は「運動する側の人間の傾向」というのを質問にだしているのです。

付け足して書いて読みにくいかもしれませんが、失礼しました。

投稿: 実存 | 2013年6月17日 (月) 22:53

>「やってみなければ分からない。」 …と、思って頂けたら幸いです。

>それはそうです。そう思うからこそ、今の今まで菜食や動物の権利の思想が間違ってるか正しいか
>という思想そのものに対する問いはだしていません。

伝わりにくい書き方をしてしまったと思ったので訂正します。

どのような行動でも「結果」がでるには、やってみなければわからない、そういう意味では同意します。
故に「素晴らしい」と思う心情や、素晴らしいと思っている「思想」や「理論」そのものを否定したりするつもりはないのです。主観でしかわからないと一番感じるものへの問いは発するつもりはないのです。

ただ問いかけとして私が返答する自分の価値感による、菜食の情報が正しいかどうかの評論による批判は
していると思います。それで気を悪くなされた、ごめんなさい。

思想や理論そのものを否定するように書いてるとしたら私の書き方が悪いのです。

自分が問いたい所はこの運動を実行する側が、

相手に批判するのをよしとしても批判されることをよしとしないような傾向が非常に強くあるように見えるのは
何かそういうふうにさせる価値感があるのだろうかどうなのだろうか、という所なのです
他の人はどう感じるだろうか、運動する側はそういう一面があるのでは?と問われればどう答えるか。

一番知りたいのはそこで、後はどれだけ信条・思想のために妥協したりしなかったりするのだろうか
とか、どういう価値感覚を持っているのだろうかと思い、直接聞こうと思い実行しているのです。

「やってみなければわからない」
やりたくてやってる側に問いたいから
自分はやりたくて行動してる側にやりたいことを問う事をやろうと思った次第です。

文章の書き方含め、自分の書き方のせいでいらぬ嫌悪を余計に与えているのでしたら、申し訳ございません。

訂正文、失礼致しました。

投稿: 実存 | 2013年6月18日 (火) 00:41

>こちらはこちらの考えを表明してるだけなのに。
実在さんのことではありません。また「言葉」の攻撃だけの話ではありません。

>自己防衛をされる事を不思議がっているように見えるのです。

いえ、そうされる気持ちは元肉食の為分かりますので、不思議ではありません。
好きな物への執着・手放したくない気持ちといいますか。
ただ知らない情報に遭遇した時に、好奇心をもって知ろうとしない態度は不思議ですが。
これも人それぞれですね。

>一般的に工場と分類されるものでフェンスやら堀やら分断されていないものは少ないと思います。
見学出来る屠殺場は日本で1か所しかありませんよ。

レオトルストイの言葉を引用したのは、
菜食が差別や戦争の撤廃に繋がるということを伝えたかったからです。
また彼がベジタリアンであり、
この言葉が菜食に関して言及している言葉だからです。


>絶望は、人を過激にする。とくに、生まじめで思いつめる性質の人ほど、容易に過激化しやすい。

実在さんがあげたカエサルの言葉は、菜食・肉食にも関係がない言葉です。
そういう人の性質をあらわしたもので、格言でも何でもないですね。

自負心(自分の才能や仕事について自信を持ち、誇りに思う心)つまりは、
『ベジについて誇りに思う気持ちが強くなりすぎると、他者への伝達の意欲を欠く結果に終わりやすい。』
実在さんにレスポンスしている私が意欲が無いですか?

有名人の言葉を引用することが多いのは、
それが正しいからだけではなく、多くの有名人が菜食であることを知られていないことが一つ。
そして、有名人の言葉なら聞く耳を持っている日本の国民性に訴えかける為もありますね。

>保身と判断されても相手が本当に保身ゆえかどうかは断言できないことです。

そうですね、知らなければ判断出来ませんね。

>相手に批判するのをよしとしても批判されることをよしとしないような傾向が非常に強くあるように見えるのは

お肉の食べる人もそうですが。

>後はどれだけ信条・思想のために妥協したりしなかったりするのだろうか

これも食べる範囲によって人それぞれです。

あくまで正しいか正しくないかは追及しないし、
環境や他人の病気にも興味ないしどうでもいいけれど、という前提なんですね。

非常に勿体ない生き方をされていると思いますが。
また気が向きましたら、(コメントのカキコではなく実践を) 何歳からでも面と向かってみて下さい。

また最初の様な質問は、ベジへの認識が不確かな不特定多数に聞くのではなく、mixiやFB等 特定の人達が集まっているところで聞く方が効率的だと思いますよ。
もしくは、ベジ会も各地で開催されていますから、そこで直接 聞かれたら良いかと思います。

ブロガーはブログの更新がお仕事ですから(有給という意味ではなく)。
ブログに書き込んで質問するというのは、
知らない人の家を訪問して、回答を求めるに等しいです。(と私は思います)

それではこの辺で。

投稿: Natsumi | 2013年6月18日 (火) 09:59

本来はここで終わりにすべきでしょうが、すいません。

最後のコメントとして書きます。もう書きません。


>お肉の食べる人もそうですが。

>これも食べる範囲によって人それぞれです。

それはNatsumiさん自身がどうなのか、という事に関する返答ではなく
ただ「相手側もどうだ」と「人それぞれ」と言って答えているようで
「自身の見解としての菜食側の人間の傾向」と「自分自体の行動の傾向」
に具体的にどう思っているか答えていないんです

「人それぞれ」と言えば全員(肉食側菜食側)「人それぞれ」になってしまいます。

お肉の食べる人「も」、と返すのは菜食側にそういう傾向があるとNatsumiさんが思う所はあると
思って良いのでしょうか?


菜食やそれに伴う思想が正しいかどうかとなるような文面の部分に関してはNatsumiさんが
ご自身の知っている事を思っている事を述べてくださったことは
ありがとうございます。

しかし何故か、菜食の思想の知識を出す事があっても運動している側の人間の傾向に関する
直接な返答はずっと避けているように見えます。返答としておおまかに返されるのは
「肉食側はどうなんだ」という問いだけで、菜食側の人間の行動面の見解はおおまか

「人それぞれ」だけで、傾向に関してどう思われるか具体的に個人として返答してくださったことは

>動物の為を思い活動している人は、加害者が人間になりますから、
>怒りと悲しみで必然的に人間嫌いにはなりやすい傾向はあります。

このコメント以外は、個人の見解という見解はなく(見落としていたら、ごめんなさい)むしろ、
「肉食者側もひどい」という感じの返答を質問の返答として返してきているように個人の主観として見えました。
返答には答えず返答を返してきてるようにしか自分には見えません。

こちらは勝手にブログに書き込んだ上の質問です。どの口が言うかと思われても、
答える義務は無いと思われても致し方ないとは思っています。

Natsumiさんが菜食がどう正しいのか色々な場所で書かれていたりする知識や見解を書く事はあっても
Natsumiさん個人の見解から見る人間の傾向そのものには、
菜食側に対するものはできるだけ答えたくないという感じでしょうか?

答えたくないのでしたら、答えたくないと返答してください。
始めから、「答えたくない事は答えたくないと書いてください」
と書けば良かったと思っています。すいません。

>「始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる。」

>「絶望は、人を過激にする。
とくに、生まじめで思いつめる性質の人ほど、容易に過激化しやすい。」

>「自負心も、強くなりすぎると他者への伝達の意欲を欠く結果に終わりやすい。」

ユリウス・カエサルが言った、とした書き方自体に間違いがありました、それをまず謝ります。
一番目の元はカエサルのはずですが二番目と三番目は、ローマ人の物語の作者の塩野七生さんの書いた事かもしれません
誰が書いたにせよ、人が発する言葉・文章を名言、格言とするならば自分にとってこれは名言・格言です。

また、これらの貼った私にとっての「名言」はNatsumiさん個人に対してのものではなく、
個人の偏見として、運動する人達の傾向に対する見方です。
菜食とか動物の権利とか関係なく原発や反日や愛国や宗教や、色々な運動において激しい人にあると思う傾向です。


>レオトルストイの言葉を引用したのは、

その言葉もNatsumiさんが信じる人間の性質に対しての見解として思う所があるからこそ引用してると
思うのです。人の性質に対する見解が書かれることは名言・格言にならないと思うのでしたら
私が引用してきたことは、名言でも格言でもないです。すいませんでした。

>「自負心も、強くなりすぎると他者への伝達の意欲を欠く結果に終わりやすい。」

これは単純に自分が正しいと思う人ほど、相手も自分が正しいと思っている事を忘れやすかったり、相手の価値感を
わかりきっているように思う人ほど相手の価値感を断定する故に相手と意志の相互理解ができなくなりやすい
という意味があると思い、張ったつもりです。無論、私にも当てはまるのでしょうが。

Natsumiさんが返答してくださることに意欲がないとは思いません。むしろ今の今までコメントの返事を
なさってくれたことには感謝しています。

「伝達の意欲を欠く結果に終わりやすい」というのは
情報発信する意欲とか相手に伝えようとする意欲を欠くのではなく

結果的に意見や思いが伝わらない結果に終わりやすい
伝達の意欲の労力が無になりやすい

という意味だと自分は思っていて貼っただけです。

先程にも書きましたが、Natsumiさんのレスポンスへの意欲はすごくあると自分は思っています。

>見学出来る屠殺場は日本で1か所しかありませんよ。

個人的な見解ですが、見学したいという需要、ニーズの問題ではないでしょうか
また見学出来るような施設整備がされていないのではないでしょうか

どうして需要、ニーズが無いと思うか問われれば前にコメントで書いたように
屠畜に興味が無い事と道徳的に良く無いように感じる傾向がある社会だからと思います。

後はr-18と同じように基本的に見せるようなものとしてはいないから
工場を作る前提として見学出来るような整備をしていないのだと思います。


>あくまで正しいか正しくないかは追及しないし、
>環境や他人の病気にも興味ないしどうでもいいけれど、という前提なんですね。

自分にとっては相手の考えを知る事と相手の立場の考えを理解する事と
それが正しいかどうか信じるのは別の問題なのです。

この発言の場としての限りの自分の立場の前提として
「まったく興味がない」というのは見方として合ってると思います。
菜食やその思想を正しいかどうかを討論しにきたつもりはないからです。

自分が興味があるのは人間の傾向というものなのです。学問で例える事ができるなら
社会学とか文化人類学とか人間の傾向や人間そのものに関するものです。
人間自体に対する興味です。


>また気が向きましたら、(コメントのカキコではなく実践を) 何歳からでも面と向かってみて下さい。

ごめんなさい。また書き込んでしまいました。このコメントで終わりにします。


一週間近く、コメントに返答をして頂き、誠にありがとうございました。

それではこれにて失礼します。

投稿: 実存(last) | 2013年6月18日 (火) 15:47

自分が書き込む前にまだ書かれていなかったか、自分が見忘れていて、
返事を書く事ができませんでした。申し訳ありませんが返事を書かせてください。

書かなくていいと思う気持ちがNatsumiさんに持たれている
と思われますが本当にすいません。


>また最初の様な質問は、ベジへの認識が不確かな不特定多数に聞くのではなく、mixiやFB等 特定の人達が集まっている ところで聞く方が効率的だと思いますよ。
 もしくは、ベジ会も各地で開催されていますから、そこで直接 聞かれたら良いかと思います。
 
mixiやFBの方がベジへの認識に富んだ多数がいるから、
ベジ側に聞きたい事はそうしたほうが良いわけですね。わかりました。

直接、聞かなければわからないことはあるのは、おっしゃる通りです。
 


>ブロガーはブログの更新がお仕事ですから(有給という意味ではなく)。
 ブログに書き込んで質問するというのは、
 知らない人の家を訪問して、回答を求めるに等しいです。(と私は思います)

荒らし同然のような立場にされてもおかしくないです。申し訳ありませんでした。
他の記事で、自分同様に荒らしと見られてもおかしくないコメントに対応なされているのを見て
この人なら、返事をしてもらえると勝手に判断し土足で家に上がってしまった次第です。

誠に申し訳ありませんでした。

それではこれにて本当に失礼します。

投稿: 実存(last) | 2013年6月18日 (火) 16:18

>相手に批判するのをよしとしても批判されることをよしとしないような傾向が非常に強くあるように見えるのは

実在さんが、菜食家の傾向としてあげられたように思いましたので、
肉食者も同じことですよと書きました。

>菜食側の人間の行動面の見解はおおまか

ベジの考現学(思想学?)はまだありませんから。
一個人の、限られた範囲の人達の中で、(特に美容系・スピ系の友人は少ないですし) 私が傾向を一がいに決めつけて、
ノンベジの方のイメージのフィルターを独断でかけるのは良くないと思います。

またそれが良いことであれ、外部サイトに書きこむことで、それを実在さん以外の方に引用されて、
「ネガポ辞典」の反対に、変換されて、足をひっぱる要員にされるのは本位ではありません。

また、傾向を聞かれているとは知りませんでした。
でしたら最初にそう書いておけば良いのではないですか。

ですがあえて、あげるとすれば。
菜食は正しいと思っているということでしょうか。
なぜなら、自分自身で、それが証明されたからです。

性格上のことを言えば、穏やかで、異性の区別や隔たりがあまりありません。
(オナベとかオカマとかいうことではありません) 飢えたガツガツした感じがないです。

感受性が豊かで、比較的アート系の人に伝えると、すんなり知識を受け取ります。

また↓こんな情報もあります。
http://vegan.japanteam.net/article_20100610a.htm

ゴキブリをキャッチアンド自然へリリースする人もいれば、抹殺する人もいます。

啓発することに一生ささげている人もいれば、人にそれを言わない、啓発しない人もいます。


>その言葉もNatsumiさんが信じる人間の性質に対しての見解として思う所があるからこそ引用してると
思うのです。

名言を引用するときには誰だって共感し、
その言葉がストレートだったから、自分の言葉に変わって代弁させるものですね。

>ニーズの問題ではないでしょうか

見学したいというニーズの元申し出ても、部外者立ち入り禁止であったり、撮影禁止のところがほとんどです。
生産されている方達は、見せることで食欲が落ち、デメリットになることを恐れるからです。


それではまた。

投稿: Natsumi | 2013年6月18日 (火) 16:48

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